実家が徳島なので関西圏の大学を受験したけど、全部落ちたンです(笑)。一つ上の先輩がT大の空手部に進学していて、「東京で喧嘩で有名な学校は?」と尋ねると、T大、国士舘という事でした。T大の試験は終わっていたので迷わず国士舘に決めました。入学したばかりの頃は雨の日が多くて、その頃カスケーズの「悲しき雨音」という曲がラジオからよく流れていたので、今もこの曲を聴くと入学したての頃の事を思い出すなぁ。
高校では柔道部でした。同じ柔道部の同級生が拳法の道場に通っていたので、時々道場に遊びに行ってましたね。
入学して始めは寮での生活でしたが、夏休み明けから下宿をし、中目黒の道場に通いました。そこで前田正治(初代・故人)と出会い、日本拳法部創部が具体的に動き出しました。
場所が無くってねぇ…。創部当時の稽古場所は松陰神社の境内でやってたよ。その後、世田谷警察署の柔道場をお借りして 稽古をしてました。時々政経学部(6号館)最上階の柔道場でも。初公式戦は第11回の全日本学生選手権(昭和41年)で、対戦相手は桃山学院大学(写真下:左・前田忠彦氏、右・桃山学院大学延山選手)でした。あと、部員確保の為に、手当たりしだいに声をかけていたねぇ。
松陰神社で稽古中に、当時高校生だった丸谷智脩(元監督・4代)が見学に来て、稽古に参加した事かな。今でもよく憶えて いるよ。
現在のわたしは年金生活者で、趣味は釣り、職業漁師を目指して日夜ルアーを振ってます。 拳法の方は徳島で四国大学の監督として学生を指導してます。
前田正治が若くして草葉の陰に往ってしまったのが残念です。彼の分まで俺はまだまだ頑張ります。
(2008年5月24日)